世の中な等価交換ことが多い
遊びを犠牲にして勉強すれば
資格がとれるかもしれない
勉強を犠牲にして遊べば
充実した思い出は手に入るかもしれない
何かがほしければ何かを捨てなければ
いけないのか
そうは思わない
例えば、部活をやっていたとき
時間を費やしたけれど
時間や勉強を犠牲にしたとは思わない
誰よりも強くなることがすべてだった
試合に勝った瞬間がすべてだった
その瞬間を味わうために
毎日練習をしたけれど苦ではなく
楽しかった
何かを犠牲にしている気はしなかった
要はその瞬間を目的と楽しさが一致していれば
充実しているし、等価交換なんて考えもしないだろう
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